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入院(手術)生活

術後1日目: 吐き気と貧血

2014年9月10日。手術翌日。
引き続き吐けない吐き気に苦しむ。

吐き気どめプリンペランが処方されるが全く効かない。座薬の吐き気どめも入れてくれたがこれも効果なし。
ナースさんが口をゆすぐよう水を持って来てくれるのでそれを口に含んでは出すのみ。後はずっといつ何が出てもいいようにうがい受けを覗き込んで過ごした。

そんな中、はいご飯でーすと言って全粥にカレイのクリーム煮を付けて持って来られた時はやり場のない殺意に燃えた。

昼になると「今日は歩いてもらいます」と導尿の管をひっこ抜かれた。自力でトイレまで行けということらしい。
術後はなるべく早く歩いた方が腸閉塞や癒着を防ぎ、回復のためにもいいというのが最近の常識なんだって。

歩きたいのは山々だが、血圧は70/30辺りをウロウロ。ヘモグロビンの値も低過ぎて起き上がるのが精一杯、起き上がっただけでクラクラし吐き気が復活。どうしても立てない。

巡回に来た医師によると、腸音がしないとのこと。術中に腸を沢山触るとびっくりして動かなくなるそうだ。
食べないと血圧が上がらない。血圧が上がらないと歩けない。歩かないと腸が動き出さない。腸が動かないと食べられないと言う悪循環を、どこかで断ち切らないと行けなかった。

吐き気は硬膜外麻酔のせいらしい。吐き気より痛みの方がマシだと訴え、夜になって麻酔を止めてもらったら、徐々に吐き気は落ち着いてきた。
代わりに、当たり前だけど痛みが出てきた。

夕食は食べようが食べまいがお構いなしに、当初の予定通り粥から普通食へと変わっていた。
食欲なんて全くない。食事について来たリンゴジュースのパックだけ、1日かけてやっと飲んだ。

夜になってようやくのろのろと立って歩き、自力でトイレを済ませることが出来た。急かさず無理させずずっとついていてくれ、クララが立ったばりに手を叩いて喜び褒めちぎってくれたナースさんの根気には本当に感謝しかない。

途中で執刀医のK医師が来て、悪性だったこと、両卵巣と子宮と大網を取ったこと、やっぱりおへその横まで切り上げざるを得なかったことを伝えられた。
子宮への癒着があり、病巣を割らずに出せなかったが全部取れました、と。
ちょっと待って今重要なことをさらっと言われた気がする。
割れた=術中破綻。卵巣内部の癌細胞を含んだ漿液が腹の中にぶちまけられたということではないの?

癒着であって浸潤ではないのですかと確認すると、そこは確定病理診断の結果を待つことになる、場合によってはステージが少し変わると言われた。
今後のことも含めて話を、と言われたが、フラフラしていて今の自分の思考力に自信がなかったので、後日にお願いした。今の自分の体でいっぱいいっぱいだった。

夜は眠剤が処方されたので何も考えず飲んで寝た。

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入院(手術)生活

手術終了後の様子: シバリング発動

2014年9月9日、卵巣癌摘出手術続き。

何度か声をかけられ目を開けると、何とも言えない不快感の嵐が襲ってきた。慌てて目をつぶり元の闇に逃げ込むが、すぐ声をかけられ呼び戻されてしまう。

「終わりましたよ」
何が終わったのかうっすら思い出し、意識が戻ってしまった途端、不快感がまたどっと押し寄せる。吐き気と様々な気持ち悪さと。痛みはそれほど感じなかった。

ベッドもまくらも不快で気に入らなかったし、荒っぽく病室へ運ばれている揺れも気持ち悪さに拍車をかけた。体は動かず、意識はぼんやり。
懐かしいニコちゃんこと夫の声で目を開けた。手を握ってくれたので、安心してまた目をつぶった。余り詳しく状況を知りたくない気分だった。

そのまま目を閉じていると、体が勝手に猛烈に震え出した。シバリングだ。低体温から一気に高熱へ。
シバリングへの対処は、熱が上がり切るまで体をさすり保温毛布でくるむ。寒さで体が勝手にガタガタ震える。上がり切ったところから氷で冷やすのだ。朦朧としていたおかげか、寒さも高熱のしんどさも感じなかった。
周りのナースさん達がせわしなくケアしてくれる様子を、他人事みたいに耳だけで聞いていた。

39.7℃迄一気に熱が上がり、そこからすうっと下がってシバリングは収まった。ニコちゃんの声に安堵が混じるのを聞いて、どうやら大丈夫そうだ、と思った。
気持ち悪さ、吐き気だけが残った。

声が出ない。ニコちゃんに息だけで「ひどい目にあった」とまずは感想を述べた。声が全く出ず込み入ったことを話せなかったので、iPadを貰い、指で「膝下にクッションを敷いて欲しい」と書いて伝えた。体勢が辛かったのだ。ニコちゃんは二言目にiPadとかwwと笑っていた。

吐き気が続くが、力が入らず2回ほどえずいたのみ。その度腹に痛みが走る。そして胃液どころか唾液も出ない。吐くことが出来れば多少は楽だろうに、ただ延々気持ち悪いばかりだった。

顔には小さな酸素マスク。導尿チューブが入っていて尿意は全く感じない。腹からはドレーンのチューブ。小さな麻酔のボトルが首から下げられ背中の硬膜外麻酔に繋がっている。両ふくらはぎは血栓防止のフットポンプで身動き取れず。

ベッドの足下で執刀医のK医師がニコちゃんに「無事終わりました。迅速病理診断の結果、残念ながら悪性でした、予定通り両側の卵巣と子宮、大網を取りました。癒着があったので時間がかかりました」と説明しているのが聞こえた。
頭が働かないので、ショックもなくただふーん、と思った。

出血量は想定内の400ccだったので輸血はしなかったが、現在貧血と低血圧の状態だそうだ。
終わったのは15:00頃で、手術室に入ってから7時間程経っていることになる。そう聞くと大手術だ。
しばらくしてニコちゃんはまた明日くる、と帰って行った。

個室に一人、終わりのない吐き気だけが残された。フットポンプのシュコーっという規則正しい音を聞きながら、ひたすら吐き気と戦っていた。
30分か1時間おきに看護師さんが体温や血圧を図りに来る。血圧は低いままで、熱も下がらないらしい。夜、座薬を入れてくれて、ようやく熱は下がった。

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入院(手術)生活

手術当日の様子

2014年9月9日手術当日。
入院も初めてなら手術も初めてだ。

6:30 朝っぱらから検温と血圧測定。薬を飲んだかチェック。
7:00 噂の浣腸。ベッドに横向きになって入れてもらう。市販のイチジク浣腸みたいに可愛らしいシロモノではなく、でかい注射器のようなシリンジで不安になる程長々と注入。たちまちお腹が冷たくなる。
「難しいとは思うけど3分くらい我慢してトイレに行ってくださいね」とナースさんは言い残して去って行った。
別に闘うところではないんだけど、闘争心に火がついて4分少々我慢。勝ち誇りつつダッシュでトイレへ。昨日2回も下剤を飲まされて都度結果を出して来たので、あまり成果はなかった。

ふくらはぎまでの弾性ソックスを履き、上はノーブラ下は自前のショーツで、手術着に着替えたら後はもうやることがない。
事前に用意するよう言われていた腹帯とT字帯(前日に院内の売店で購入)を出しておく。
まもなくそれじゃ行きましょうか、とナースさんが迎えに来てくれた。
手術の時は元気でも車椅子やストレッチャーに乗せられて行くと思っていたが、普通に徒歩で移動だった。

手術ルームに入ると中はホールのように広くなっており、そこから放射線状に各手術室に繋がっていた。そのうちの一部屋に導かれる。
「じゃあ、後でね」万感の思いをこめて愛しいニコちゃんこと夫の手を握って別れ、手術室に入ったら中の皆さんが変な顔をして見る。
「ごめんなさい、あっちの部屋だったわ」とナースさんがてへぺろしながら手招き。部屋を間違えたらしい。ズコーっとなって緊張が一気にほどけた。
秒速で手術室から出てきたため、混乱した表情のニコちゃんの前をきまり悪く「あっちだった」と言いつつ通り過ぎ、何とも締まりのないお別れに。

手術室の中は壁も天井も薄緑色。ナースさんに文字通り手を引かれて中央の手術台へ。
安心感のある手慣れた素早さでオキシメーターや心電図、点滴に繋がれる。
「おー、やっぱ不整脈出てますね」と何やら嬉しそうに言われた。

横向きになって背中を丸めるポーズを取り、まず痛み止めの注射。結局手術中一番痛かったのはこれだった。と言っても大したことはない。
その後背中の内部ににゅるっと冷たい何かが入り込んだ。結構時間をかけて何やら後硬膜外麻酔のための処置をしていた。うんと細い針を背中の硬膜外のスペースに差し込み、そこから連続的に麻酔が流れ込む仕組みらしい。麻酔を入れ続けられるので、手術が長引いても途中で覚めてしまう事がない。
足が痺れ出したら何か間違っているサインなので、途中何度も手足に変な感じはしないか、痺れはないかと確認された。
終わったら仰向けになる。おいおい背中に針刺さってるのに仰向けになったら針が中に入っちゃうじゃんと心配になったが、特に違和感はなかった。どうなってるのかは知らない。

酸素マスクをされ、「じゃあ麻酔しまーす」の声。ナースさんがずっと右手を握ってくれていて、暖かさと柔らかさが心地良かった。
息を吸って、と言われ吸い、いつ数を数えてくださいって言われんのかなーでも何かちょっと気持ち悪いなと思ったか思わないかのうちに何も分からなくなっていた。全身麻酔凄い。

2014年9月9日、どんより曇ったスーパームーンの日。
眠ったまま私もどんよりと禍々しいスーパームーンを産み落とした。

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