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まとめ 入院まで

入院までのまとめ

病気が分かって余り動き回れなくなってやったことと言えば、ネットで情報収集しまくり。しかし、ググれどもググれども、卵巣癌の情報は限られていた。自分に何が起こりこれからどうなっていくのか、早く早く沢山の情報が知りたかった。
そんなわけでここまで順番に読んでくださっている方々には内容が重複して申し訳ないのですが、急いでいる人のために、時々適当に区切ってまとめ記事にしていきます。

・受診までに感じた体調の変化
体重の増加
頻尿
腹の張り感 → 次第にしこり感に。仰向けで脚を伸ばせなくなる。
突然の膝痛 腰痛を感じる人も。何も感じない人も。
次第に易疲労感・不眠・食事量低下

・受診は婦人科。検査項目は内診・超音波(エコー)検査・MRI・子宮がん細胞診、血液検査(腫瘍マーカー含む)・採尿・胸部及び腹部X線撮影。費用は併せて大体¥22,000くらいだった(3割負担)。
一連の検査で卵巣腫瘤の大きさとおおよその悪性度、転移の有無を調べる。

手術は全身麻酔で行い、術中迅速病理診断で良性か悪性かを判断する。
良性なら病巣の卵巣と卵管を取るだけなので、1時間半程で済む。
境界悪性なら両側の卵巣と卵管、子宮、大網を取る。
悪性なら両側の卵巣卵管、子宮、大網に骨盤リンパ節まで取るのが標準治療で、4時間以上かかる。膨れ上がった卵巣と他の臓器が癒着してしまっていると、剥がすために更に時間を要する。終了後化学療法をするケースも。

卵巣癌については、悪性か良性か、ステージや組織型など大事なことは手術をやってみないと分からないので、事前にあまり調べ過ぎない方がいい。自分がどれに当たるかも分からないまま、ネガティブな情報に多く触れてしまうと辛くなるばかりだ。

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入院まで

入院準備

入院前にネイルは手も足も全て落としてくるよう厳命された。特に最近ジェルネイルをしている人が多いがあれは手軽に落とせないから、してたら手術は中止ですから、と。別に意地悪な校則で決まっているわけではなく、術中爪の色でバイタルチェックをするためだそうだ。

手はいいとして、夏だったのでまんまと浮かれたペディキュアをし、そのまま腹が張って足の指に手が届かなくなっていた私。看護婦さんに相談すると、「旦那さんに落としてもらいなさい!」と一喝された。
リムーバーの臭いが大嫌いなニコちゃんこと夫は、それでも文句も言わずペディキュアを落とし、丁寧に足の爪を切ってくれた。
他の人に足の指を手入れされるのは、何というかいいもんだということが分かった。

入院の日まで、お通じと食事のコントロールに追われた。食べ過ぎたりお通じが滞るとてきめんに腹が張って1日苦しい思いをする。食欲はあるがすぐ食べられなくなる、ある程度は食べないとお通じが出ない。悲しいかなうんこに左右される体調…。
ピンクの小粒はお腹に差し込みが来て余計ややこしくなるので、生薬配合のハイロストールという市販薬を毎日飲んだ。
元々便秘体質ではなかったので、錠数を調節することで何とかしのげた。
日が経つにつれ腹の張り感はしこり感へと変わって行った。ぶよぶよした塊が次第に張りつめて硬い塊になって行くようなイメージ。

うちは自営の会社で、タイミング悪く8月は決算月。癌だろうが手術だろうが、作らねばならない書類がある。腹の張りで集中力は落ち気力は削がれ、いつも疲労感を感じていた。
朝起きて何も食べていない時間帯が最も体調が良かったので、その時間帯に集中して作業をした。

お腹の一番出ている腹囲を巻き尺で計ってみたら86cmあった。以前のサイズが分からないけど、尋常じゃないよね。
1時間の外出で疲れ果て、目眩を起こして横になる始末。

それでも、夏から飼い始めた仔犬が脚を痛めて悲鳴をあげた時は、ダッシュで飛び込んでいけた。子宮や卵巣を取っても母性本能って残るんだろうか?

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入院まで

入院日決定

入院は2014年9月8日、
手術は9月9日に決まった。

決まった翌日に生理が来た。少なくて短くて、もしかしたら不正出血だったのかも知れないが、手術をしたらもう二度と生理は来ない。邪魔なばかりでさっさとなくならないかなーと思ってきたけど、まさかこういう形で終わりを迎えるとは。生涯最後のおつとめと思い感慨深く過ごした。

身辺整理的なこととか、何かあった時のために一筆書いておいた方がいいんだろうか、とぼんやり考えたが、気力が付いて来ず、結局何もせずじまい。

癌という言葉に全く衝撃はなかった。
去年の夏、両親が同時に癌発覚という修羅場を経験したばかりなのだ。
胸が締め付けられるような医者の話、細々した身の回りの世話、介護申請から各種届け出と言った役所の手続き関係、ありとあらゆるストレスが降りかかって来た。知らないこと、分からないことだらけだった。
別々の病院で、父の手術に立ち会いながら弱って行く母の抗がん剤投与を見守る日々。自分のことも仕事も放り出さざるを得なかった。
父はその後経過観察に移ることができた。母は発覚からたった2ヶ月で逝ってしまった。何も出来なかった。

癌について、死について、考えない日はない1年を過ごした。まさかきっかり1年後に、自分に同じことが起こるとは。
けれどおかげで涙もショックもなかった。癌という言葉はひどく身近な存在になっていた。
なるほどね、そうきたか、と誰にともなく呟いた。
大切な誰かが病になってもう一度あの無力感に苛まれるよりは、自分にそれが起こった方が何倍もマシな気分だ。

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