久しぶりの更新になります。
元気でやっています。
2015年3月に治療が終了し、経過観察に入ってから約2年半。
治療終了1周年も経過観察2年の節目も、特に意識しないままごく普通の日常として過ごし、しばらく経ってから気づいたほどだ。
記録を達成したアスリートがよく言うように、「あくまで通過点」と思っている。
現在に至るまで良かったこと、悪かったことを書いていく。
【現在の体調 よかったこと】
・不眠が大体治った。
治療中は寝付きが悪くなり、睡眠導入剤レンドルミン(ブロチゾラム) を少量ながら常用していた。
→ 経過観察に入って半月も経たずに不要になった。
・術後からずっと続いていた腹部の違和感、引き攣れるような感覚が改善した。
主治医は恐らく開腹手術による癒着のせいで、年単位、10年単位で少しずつ元に戻っていくかも知れない(行かないかもしれない) と言っていた。
→ 術後約1年頃から違和感が薄れ、内部に滑らかさが生じたような感じになった。中に柔らかいチューブか潤滑油でも入ったかのようで、うつ伏せに寝っ転がっても違和感が減った。
そして今は腹部違和感は完全に消失。うつ伏せも反り返りも難なく出来るようになった。
ただ、腹の内部感覚に敏感になってしまい、2日ほどお通じがないともう腹の張り感で気分が悪くなってしまうため、今でも酸化マグネシウム錠が手放せない。
・食欲が戻り体重も戻った。
これも半月も経たないうちに元通り。
ちょっと残念だが、食欲があること、食べられることの重みが分かったので、むやみに体重を減らそうとせず、味わって楽しんで食べることにしている。
ガンを経験した人は食生活への意識がガラリと変わることが多いそうだ。
極端な菜食に走ったり、オーガニック、マクロビオティック、酵素なんかのキーワードに敏感になる。
私はあまり変わらなかった。気をつけるのは糖質を摂り過ぎないことくらい。
インスタント食品も食べるし、甘いものも適量食べる。
予防のために修行のような食事を続けるより、後悔しないよう食べられるうちに食生活を楽しんでおきたい。
このあたりの考え方は人それぞれだろう。大事なのは本人が納得した上でやっており、人から勧められるままに流されていないことだ。
【現在の体調 よくないこと】
・新たな痛み
治療が終了してまもなく、重度の肩関節周囲炎になった。いわゆる五十肩の酷いやつだそうだ。
夜も眠れないほど酷い肩痛に悩まされた。
卵巣がん治療中から始まった関節炎、半年以上に渡る全般的な運動不足、そして手術による突然の強制閉経で一気に体が老いたことなどが要因と思われる。
せっかく病院から解放されたのに、休む間もなく整形外科。週3ペースで通院とリハビリに励み、ようやく日常生活が送れるくらいまでに回復。
まだ痛みから完全には開放されていない。
・手足のしびれ
残念ながら、TC療法の副作用から来る末梢神経障害、いわゆる手足の痺れは2年半経った今でも残っている。
手指の方は若干マシになったかも知れないが、それもピークを10とすると7になったくらいだ。慣れも加わって普段は5くらいの意識で生活している。
朝起きて15分くらいは使い物にならない。
例えばページをめくる、薄いものを剥がす、たくさんある中から一つをつまみ上げる、ペンを持って文字を書く、荒くざらついたものに触れる、寒い・冷たい場所での手作業すべてが、集中力とストレスを伴う苦行になる。
見た目は普通だから、ただの不器用な人にしか見えないのが悔しいところ。
足は細かい仕事が少ないから目立たないが、状態は手より酷い。
つま先がドラえもんのように丸くなった感覚で、とにかく足首から先のことがよく分からない。油断するとコテンと転倒しそうだ。
階段を降りるのが怖い。底の薄い靴が履けない、5本指靴下が履けない。笑っちゃうくらいどの指がどこにあるのかわからない。
不安定なヒール靴が怖いため、年中ソックスとスニーカー。夏気温が高くて調子がいい時、時々ビルケンを履くぐらい。
【精神状態】
良くも悪くも元通り。
初めこそシャバに放免された喜び、服薬や体調のリズム作りの制約からの解放、朝起きて自分が存在している奇跡にいちいち感動していた。
食べられること、歩けること、日々を送れること全てが素晴らしかった。これからは謙虚さと感謝の気持ちを抱きつつ、1日1日を大切に生きよう、と胸に刻んだ。・・・筈なのに、そこは哀しき凡人。
あっという間に日常に埋没し、時間と雑事に追われ、他者への感謝どころかどす黒い感情を抱き、おざなりな自己管理と怠惰に溺れる生活に戻ってしまった。
そんなこんなで普通の生活を送っている。
あれほどかいがいしくお世話してくれたナースな男ニコちゃんこと夫も、最近はうっかり立っているとこき使ってくるし、何か物を頼むと交換条件を要求してくる。面倒くさい。
だけど何でもやってくれたあの頃を懐かしいとは断じて思わない。
「何事もなかったかのように」 それこそが、言葉は変だが病気への最大の”復讐”だと思っている。
あの半年に渡る非日常から得たものはなんだっただろう。
新生活のはじめに広げた大風呂敷、世の中への壮大な感謝と出来もしないご立派な決意の数々は、日が経つにつれ容赦ない日常にさらされてみるみるこぼれ落ちていき、それでも最後に小さな堅い一欠片を心の中に残していった。
表向き何も変わらず俗物三昧の毎日でありながら、そのかけらは消して消えることはなく、私に影響を及ぼし続けている。
それが何であるか、表現するのは難しいが、私はそれを大切にしている。