タグ: 腸音

入院(手術)生活

術後4日目: 傷跡

ここまでいい調子で回復してきたが、依然しつこい咳に悩まされていた。咳と痛みと身の置き所のない辛さで昨夜は一睡も出来なかった。
咳が回復を妨げている。

食事は1/3量くらいしか食べられず。
また腸が動き、のたうち回った末ようやく初お通じ。痛いのは腸が動くからで、お通じそのものは腹筋を使うことなくするりだった。日に3回処方されている下剤のおかげか。
終日37℃ちょいの微熱。

回診では傷の具合をチェックし、傷から液体が染み出していないか目視。傷そのものは48時間程度でくっついてしまうらしい。人体って凄い。

続いて腹に聴診器を当て、腸音を聞く。腸は活動を再開したようで、よく動いている、心配ないと言われた。
腸が動くと痛いんですがと言ってみたが、動いてる方がいいんですよと返された。

卵巣癌 開腹手術 傷口

傷口はテープでとめられているだけで、縫った後もホチキスで留めた跡もない。
最近は小さなホチキス穴でも感染症リスクに繋がるため、あまりやらないんだそうだ。
埋没法という方法で、皮下を溶ける糸で縫合してあるという。抜糸も不要で、傷痕も目立ちにくいとか。

最初はテープの上を大きなガーゼで覆い、腹帯で包んでいた。滲出液が出ないのでガーゼももういいでしょうと取り除けてくれた。腹帯はパジャマのゴムが傷口に直接当たるのを防いでくれている。
テープは自然に剥がれ落ちるまでこのままずっと貼っておくらしい。

着衣のまま院内の体重計に乗ってみたら、入院前より2kg以上減っていた。手術と絶食で痩せても嬉しくなんかない。腫瘍は何kgあったんだろう。

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入院(手術)生活

術後1日目: 吐き気と貧血

2014年9月10日。手術翌日。
引き続き吐けない吐き気に苦しむ。

吐き気どめプリンペランが処方されるが全く効かない。座薬の吐き気どめも入れてくれたがこれも効果なし。
ナースさんが口をゆすぐよう水を持って来てくれるのでそれを口に含んでは出すのみ。後はずっといつ何が出てもいいようにうがい受けを覗き込んで過ごした。

そんな中、はいご飯でーすと言って全粥にカレイのクリーム煮を付けて持って来られた時はやり場のない殺意に燃えた。

昼になると「今日は歩いてもらいます」と導尿の管をひっこ抜かれた。自力でトイレまで行けということらしい。
術後はなるべく早く歩いた方が腸閉塞や癒着を防ぎ、回復のためにもいいというのが最近の常識なんだって。

歩きたいのは山々だが、血圧は70/30辺りをウロウロ。ヘモグロビンの値も低過ぎて起き上がるのが精一杯、起き上がっただけでクラクラし吐き気が復活。どうしても立てない。

巡回に来た医師によると、腸音がしないとのこと。術中に腸を沢山触るとびっくりして動かなくなるそうだ。
食べないと血圧が上がらない。血圧が上がらないと歩けない。歩かないと腸が動き出さない。腸が動かないと食べられないと言う悪循環を、どこかで断ち切らないと行けなかった。

吐き気は硬膜外麻酔のせいらしい。吐き気より痛みの方がマシだと訴え、夜になって麻酔を止めてもらったら、徐々に吐き気は落ち着いてきた。
代わりに、当たり前だけど痛みが出てきた。

夕食は食べようが食べまいがお構いなしに、当初の予定通り粥から普通食へと変わっていた。
食欲なんて全くない。食事について来たリンゴジュースのパックだけ、1日かけてやっと飲んだ。

夜になってようやくのろのろと立って歩き、自力でトイレを済ませることが出来た。急かさず無理させずずっとついていてくれ、クララが立ったばりに手を叩いて喜び褒めちぎってくれたナースさんの根気には本当に感謝しかない。

途中で執刀医のK医師が来て、悪性だったこと、両卵巣と子宮と大網を取ったこと、やっぱりおへその横まで切り上げざるを得なかったことを伝えられた。
子宮への癒着があり、病巣を割らずに出せなかったが全部取れました、と。
ちょっと待って今重要なことをさらっと言われた気がする。
割れた=術中破綻。卵巣内部の癌細胞を含んだ漿液が腹の中にぶちまけられたということではないの?

癒着であって浸潤ではないのですかと確認すると、そこは確定病理診断の結果を待つことになる、場合によってはステージが少し変わると言われた。
今後のことも含めて話を、と言われたが、フラフラしていて今の自分の思考力に自信がなかったので、後日にお願いした。今の自分の体でいっぱいいっぱいだった。

夜は眠剤が処方されたので何も考えず飲んで寝た。

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