2015年2月17日。ddTC療法最終6クール1週目(day 1)、パクリタキセル+カルボプラチン2剤の日。
いよいよ最終クールに突入だ。何となく、6クール辺りが体力的にも諸々周囲の環境的にもちょうど潮時だという気がしていた。これ以上やると、副作用も血管も支える周囲の人も、多分相当しんどいことになる。
意気込んで診察に臨んだが、血液検査の結果、好中球数510 L。
前回は485 Lだった。先週スキップして2週間空いたのにたった25、ほんの誤差程度しか増えていなかったのだ。
2剤の日なので好中球は1000以上必要だ。510では程遠いので打てない。
2剤は打ちたいのでスキップではなく、延期になった。
最終クールで本当に良かった。既にもうスケジュール通りになど打てていないが、もう1クールあったら多分打ち切りにあっていただろう。
診察室を出ると、待合室は混み合っていた。端の壁に寄りかかってスマホをいじっていると、向こうから女性が歩いてきて、「どうぞ、よかったら座ってください」と声をかけてきた。
予想外の出来事で一瞬ぽかんとなった後、ようやく理解した。
私は席を譲られたのか。
photo by silhouette AC
ここは産婦人科。待合室にいるのは病人か身重の人ばかりだ。そんな中で優先して席を譲られる程に、私は具合が悪そうに見えたのか。結構ショックだった。
この日は特に体調が悪いわけではなく、軽快に動いていたつもりだったけど、テカテカの不自然な髪の毛と目深にかぶった大きな帽子、顔の半分をマスクで覆った奴がしょんぼりうなだれながら出てきたら、どう見たって癌患者だよね。
ここにいる以上、席を譲ってくれたあなただってどこか悪いか、あるいは妊婦さんでしょうに。私なんかいいから未来ある赤ちゃんのために・・・ と思いつつ、感謝して座らせてもらった。
これまで私は席を譲る人、譲られる人、どちらでもなかった。そういったクラスタからは縁遠いところにいた。つもりだった。
前を歩く人がのろのろしていたら、悪態こそつかないが心の中で舌打ちしながらとっとと追い抜いて行くタイプの人間だった。
今私はまぎれもなく「守られる側」で、それがどんな気分なのかやっと分かった。
心に沁みる人の優しさ、助けを必要とするふがいない、ままならない自分への苛立ちや情けなさ。
いつか元気にシャキシャキ歩ける日が来たら、もう前をゆっくり歩く人をはよ行かんかいと思ったりはしないだろう。人には皆それぞれ事情がある。そんな当たり前のことが、やっと体にすとんと入ってきた。
私は弱くなったんじゃない、弱さを知ったのだと思う。
2 Comments
もう、治療を終えて半年位たったのでしょうか?
私はその頃、病人では無くなったのですが、まだ手術や抗がん剤、病院への依存などから離れられないでいた気がします。
今は、経過観察1年を迎え、もの凄い精神的なPOWERで動き回ったお陰で、体力も徐々についてきた気がします。
あと、治療中に救急車のお世話に2回程なったので、以前は「うるさいなー。」と思っていた家の前をサイレンを鳴らして通る救急車に、「毎日ご苦労様です。」と、思える様になりました。
ラブ・ノエルさんこんばんは。
だらだら書いているうちに半年過ぎてしまいました。
おかげさまで今では病気だったことや、治療の様子などの記憶も遠ざかりつつあります。このまま消えていって欲しいものです。
救急車!私も全く同じです。以前はうるさい騒音だったのに、あの車が走るたびに誰かが助けを必要としているのだと思い知り、どうか間に合いますようにと祈りを込めてしまいます。ちょっとビョーキ気味かな?w