月別アーカイブ: 2015年7月

その他 化学療法(抗がん剤治療)

ddtc療法3-2週あれこれ

数日前舌を噛んだ所が口内炎になってしまった。化学療法を始めて初の口内炎。いわゆる副作用で勝手にぼこぼこ出来るやつとは違うせいか、数日でひっそり治ってくれた。

腹のつっぱり感だか張り感だかよく分からないが、違和感が強い。押すと少し痛いので、どうしても何かあるような気がしてしまう。
手術から2ヶ月経つのに、一向に改善しない。傷が癒えるに従って消えていくと思っていたのに、これは何か別の原因から来ているのだろうか?

指の痺れもますますキツくなって来た。手首ギリギリまで痺れている感じ。

思いつきで買った黒髪セミロングのウィッグをカットした。
長さが中途半端でウザいので、最悪ムダにしてもいい覚悟で。

片手でウィッグを持ち下にビニールを敷いて切り始めたが、毛先をホールドしないと毛束が逃げるばかりで切れない。ああ手がもう1本欲しい。
そこで黄金の手を2本持つ男ニコちゃんこと夫に持っていてもらい、再チャレンジ。
それでもなかなかちゃんと切れないものだ。
正直微妙な出来栄えだったが、そんなにジロジロ見る人もいないし、もう元には戻せないので良しとすることにした。大体肩につくくらいの長さになった。

ニコちゃんは常々私のヅラはわざとらしいと思っているようだ。
結構周りは分かんないものらしいよと私が言っても、「いや、気づいてないと思ってるのは本人だけで周りは言わないものだ」と譲らない。
そこは「そうだね分かんないね」と言っておけよ(´A`)と思ったが、昔からヅラ頭には厳しい人だったから仕方ない。身内からヅラを出してしまったのは痛恨の極みだろう。

前髪さえもうちょっと何とかなったらなぁと思うのだが、額が狭いので何をかぶってものっぺりしてしまう。

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化学療法(抗がん剤治療)

ddTC療法3クール2週目: 穿刺箇所不足

2014年12月16日、3クール2週目(day 8)、パクリタキセル単剤の日。

心配した好中球数は1200 mm3(μl) 。先週2剤打ったのにめっちゃ増えてる。骨髄抑制は遅れて来るので、休薬して増えた分が今出てきたのだろう。

ウィークリー投与はマンスリーの3倍多く針を刺す。
血管は皮膚と同じで、一度刺した箇所はかさぶたみたいに固くなるそうだ。かさぶたの上からは刺しづらいので次々場所を変えるのだが、段々針を刺すところがなくなってきた。

元々女性や老人の血管が細いのは力仕事をしないせいらしい。筋肉を使うとどんどん血液を送り込む必要があるから血管が太くなるそうだ。って今言われてもどうしようもない。
血管を探す先生の顔に焦りが見え始めたので、温存していた右腕を差し出した。利き腕の方がやはり筋肉を使うせいか、若干血管が太いようで、すんなり入った。

最近家で服用している薬は
制吐剤 ノバミン 0~3錠/日
手足の痺れ対策 メチコバール 3錠/日
下剤 マグラックス 1~3錠/日
整腸剤 ビオフェルミン1錠/日
眠剤 レンドルミン 1錠/日

下剤について。元々便秘知らずだったし、化学療法を初めてから特に酷い便秘になったわけではないが、少しでも滞ると腹が張ったような気になり不快。
治療中は他にも身体の不快は沢山あるので、取り除ける不快要素は取り除こうと思い、基本的に毎日下剤を飲んでいた。

眠剤について。元来横になれば1分で寝られる体質だったが、治療を始めてからはっきり不眠気味になった。
少し寝付けないと色々ネガティブな考えが頭を巡るので、恐らくは精神的な要因が大きいのではないかと思う。
体力を落とさないためにも睡眠はしっかり取りたいので、こちらも毎日眠剤を飲むようにした。

これまで頭痛薬以外は殆ど薬を飲まない生活をしてきたが、生来薬は効きやすい体質。どの薬も良く効いてくれる。肝心の抗がん剤もばっちり効いてくれますように。

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その他 化学療法(抗がん剤治療)

ddTC3-1週: 闘病する意味

この週辺りから出てきた副作用は3種類。
顔のむくみ。抗がん剤を打って数日間顔が丸くなっている。
・いよいよまつげが薄くなってきた。
腰痛。時々出るようになった。
私は元々肩凝りだが腰痛持ちではなかったので、慣れない痛みにどう対処していいか分からず困った。

ノバミンの服薬回数を減らしたおかげか、アカシジアと思われる落ち着きのなさ・焦燥感は随分改善した。(←参照)


 

少し余裕が出てきたので色んな人の闘病ブログなどを見て回った。

皆頑張っている。子供のため、仕事のため、やりたいことがあって、守りたいものがあって。嗚呼どうかこの人達を生かしてあげてくださいと見ず知らずの人達のことながら目頭が熱くなる。

片や自分はどうだろうか。私は特に社会に貢献していない。守るべき子供もいないし、どうしてもやり遂げたい事業もない。交友関係も広くないので、いなくなってもそれ程世間にさざ波は立たない。
多くの人の手を煩わせ、膨大な医療資源を投じてもらってまで、お前は生きる価値があるのか。
そんな暗い自問に囚われそうになる。

こういう後ろ向きな考え方ではせっせと闘っている身体に申し訳ない。
分かっている。私には何もないけど、それでも生きたい。
病気になったことで、期せずして心の身辺整理をする羽目になった。死を意識して、やっと本当に大事なものが浮き彫りになってきた。

何か特別なことをしたいんじゃない。残された時間がどれくらいであっても、大切なのは何気ない何事もない日々を平和に生きること。
周囲にとってどれだけ無意味であっても、無価値であっても、それこそが私にとってのかけがえのない幸せだ。
皆で一緒に笑って暮らすこと。他の全てはそれを実現させるための材料でしかない。そのために生きたいのだ。
その意味では、私はずっと幸せだったし、闘病中の今でさえ途切れなく幸せなのだ。

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こんな風にじーんとなりながら書いているそばから、うちの仔犬がウロウロしながらうんこして中断させられる。
この日常感が私を救ってくれる。

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