タグ: 腰痛

その他 化学療法(抗がん剤治療)

ddTC3-1週: 闘病する意味

この週辺りから出てきた副作用は3種類。
顔のむくみ。抗がん剤を打って数日間顔が丸くなっている。
・いよいよまつげが薄くなってきた。
腰痛。時々出るようになった。
私は元々肩凝りだが腰痛持ちではなかったので、慣れない痛みにどう対処していいか分からず困った。

ノバミンの服薬回数を減らしたおかげか、アカシジアと思われる落ち着きのなさ・焦燥感は随分改善した。(←参照)


 

少し余裕が出てきたので色んな人の闘病ブログなどを見て回った。

皆頑張っている。子供のため、仕事のため、やりたいことがあって、守りたいものがあって。嗚呼どうかこの人達を生かしてあげてくださいと見ず知らずの人達のことながら目頭が熱くなる。

片や自分はどうだろうか。私は特に社会に貢献していない。守るべき子供もいないし、どうしてもやり遂げたい事業もない。交友関係も広くないので、いなくなってもそれ程世間にさざ波は立たない。
多くの人の手を煩わせ、膨大な医療資源を投じてもらってまで、お前は生きる価値があるのか。
そんな暗い自問に囚われそうになる。

こういう後ろ向きな考え方ではせっせと闘っている身体に申し訳ない。
分かっている。私には何もないけど、それでも生きたい。
病気になったことで、期せずして心の身辺整理をする羽目になった。死を意識して、やっと本当に大事なものが浮き彫りになってきた。

何か特別なことをしたいんじゃない。残された時間がどれくらいであっても、大切なのは何気ない何事もない日々を平和に生きること。
周囲にとってどれだけ無意味であっても、無価値であっても、それこそが私にとってのかけがえのない幸せだ。
皆で一緒に笑って暮らすこと。他の全てはそれを実現させるための材料でしかない。そのために生きたいのだ。
その意味では、私はずっと幸せだったし、闘病中の今でさえ途切れなく幸せなのだ。

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こんな風にじーんとなりながら書いているそばから、うちの仔犬がウロウロしながらうんこして中断させられる。
この日常感が私を救ってくれる。

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