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その他

CT撮影 – 化学療法中間評価

2014年12月26日、化学療法の翌日だが再び病院へ行き、造影剤を入れたCT撮影をした。全6クールの半分を消化した時点での、いわゆる中間評価だ。
結果は年明けまでお預けなのがちょっとイヤだけど、忘れてお正月を満喫することにする。

相変わらず柑橘・ゼリー・茶碗蒸し・豆腐が食べやすいが、気がついたらもう結構普通に食べられるようになっていた。
元々柑橘類は好きなので、そのまま食べ続けている。水晶文旦が終わったので、今度は紅まどんなを毎日1個。
みかんより若干レア度の高い柑橘を選ぶことで食欲のモチベーションを上げる狙い。
お高いので、1個ずつ大事に食べている。
その後はしずるみかんとせとかが控えているから、楽しみにシーズンを待ちたい。

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同じ明細胞腺癌の人のブログを重点的に探して読んでいる。化学療法が終わってからのことを色々知っておきたかった。滅入ることもあるが、参考になることが多い。
再発のサインはあるか、その後どう進行するのか。治療はどこまでやるか、どう生きるか。

ただ平穏に日々を生きる幸せを知ることが出来ただけでも、この人生には意味があった。
寒くて散歩を面倒に思える幸せとか。寒いも面倒も生きている証拠だからね。

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その他 化学療法(抗がん剤治療)

ddtc療法3-2週あれこれ

数日前舌を噛んだ所が口内炎になってしまった。化学療法を始めて初の口内炎。いわゆる副作用で勝手にぼこぼこ出来るやつとは違うせいか、数日でひっそり治ってくれた。

腹のつっぱり感だか張り感だかよく分からないが、違和感が強い。押すと少し痛いので、どうしても何かあるような気がしてしまう。
手術から2ヶ月経つのに、一向に改善しない。傷が癒えるに従って消えていくと思っていたのに、これは何か別の原因から来ているのだろうか?

指の痺れもますますキツくなって来た。手首ギリギリまで痺れている感じ。

思いつきで買った黒髪セミロングのウィッグをカットした。
長さが中途半端でウザいので、最悪ムダにしてもいい覚悟で。

片手でウィッグを持ち下にビニールを敷いて切り始めたが、毛先をホールドしないと毛束が逃げるばかりで切れない。ああ手がもう1本欲しい。
そこで黄金の手を2本持つ男ニコちゃんこと夫に持っていてもらい、再チャレンジ。
それでもなかなかちゃんと切れないものだ。
正直微妙な出来栄えだったが、そんなにジロジロ見る人もいないし、もう元には戻せないので良しとすることにした。大体肩につくくらいの長さになった。

ニコちゃんは常々私のヅラはわざとらしいと思っているようだ。
結構周りは分かんないものらしいよと私が言っても、「いや、気づいてないと思ってるのは本人だけで周りは言わないものだ」と譲らない。
そこは「そうだね分かんないね」と言っておけよ(´A`)と思ったが、昔からヅラ頭には厳しい人だったから仕方ない。身内からヅラを出してしまったのは痛恨の極みだろう。

前髪さえもうちょっと何とかなったらなぁと思うのだが、額が狭いので何をかぶってものっぺりしてしまう。

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その他 化学療法(抗がん剤治療)

ddTC3-1週: 闘病する意味

この週辺りから出てきた副作用は3種類。
顔のむくみ。抗がん剤を打って数日間顔が丸くなっている。
・いよいよまつげが薄くなってきた。
腰痛。時々出るようになった。
私は元々肩凝りだが腰痛持ちではなかったので、慣れない痛みにどう対処していいか分からず困った。

ノバミンの服薬回数を減らしたおかげか、アカシジアと思われる落ち着きのなさ・焦燥感は随分改善した。(←参照)


 

少し余裕が出てきたので色んな人の闘病ブログなどを見て回った。

皆頑張っている。子供のため、仕事のため、やりたいことがあって、守りたいものがあって。嗚呼どうかこの人達を生かしてあげてくださいと見ず知らずの人達のことながら目頭が熱くなる。

片や自分はどうだろうか。私は特に社会に貢献していない。守るべき子供もいないし、どうしてもやり遂げたい事業もない。交友関係も広くないので、いなくなってもそれ程世間にさざ波は立たない。
多くの人の手を煩わせ、膨大な医療資源を投じてもらってまで、お前は生きる価値があるのか。
そんな暗い自問に囚われそうになる。

こういう後ろ向きな考え方ではせっせと闘っている身体に申し訳ない。
分かっている。私には何もないけど、それでも生きたい。
病気になったことで、期せずして心の身辺整理をする羽目になった。死を意識して、やっと本当に大事なものが浮き彫りになってきた。

何か特別なことをしたいんじゃない。残された時間がどれくらいであっても、大切なのは何気ない何事もない日々を平和に生きること。
周囲にとってどれだけ無意味であっても、無価値であっても、それこそが私にとってのかけがえのない幸せだ。
皆で一緒に笑って暮らすこと。他の全てはそれを実現させるための材料でしかない。そのために生きたいのだ。
その意味では、私はずっと幸せだったし、闘病中の今でさえ途切れなく幸せなのだ。

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こんな風にじーんとなりながら書いているそばから、うちの仔犬がウロウロしながらうんこして中断させられる。
この日常感が私を救ってくれる。

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