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その他

不安を隠して

2015年がやって来た。

元旦。気分のいい年越しだったので大丈夫かと思い眠剤を飲まずに床に就いたが、結局殆ど眠れなかった。浅い嫌な夢が幾つか通り過ぎて行き、去年の様々なシーンや嫌なイメージが次々湧いてきて、寝た気がしなかった。
体の熱を逃がすのにも失敗したらしく、妙に汗ばんたりと生理的にも寝苦しさを感じた。

せっかくの新年なんだからおとなしく服薬して寝ればよかった。
ちょっと自信がついてきたものの、体が万全でないことを肝に銘じなければ。

新年はちょっと奮発して金沢のお店からお節を取り寄せた。甘さに逃げず丁寧に和風で仕上げられ、お酢を使ったものも多くちょうど食べやすかった。食べられないかも、と心配して小さめのサイズにしたが、バクバクいけてしまった。
まだ元気だった頃北陸を訪れて、とても気に入った金沢料理。その旅行を最後に、程なくして病気が発覚した。あの楽しい旅行にがん細胞も連れて行ってたのかと思うとちょっとムカつく。

イベントを大事にする男ニコちゃんこと夫がお雑煮を作ってくれた。
たっぷりいい出汁を使い、私が作るより美味しく出来ていた。
一方で、そろそろニコちゃんの手荒れが気になり始めた。

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眠れないといろいろな考えが浮かんでますます寝れなくなるという話をしていると、ニコちゃんが自分もそうだと話し始めた。
聞いていくと、実はニコちゃんの方が相当深刻な状態であることが分かってきた。
1人になると不安が強くなり、ネガティブなことばかり考えてしまうという。
だから、ほんの短い時間でも独りでいるのが嫌で、買い物や犬の散歩に出たりするのも辛いそうだ。極端なことを言えば独りになるから風呂に入るのすら嫌だったという。
重症ではないか。それで時々眠剤まで使っていたようだ。

化学療法が始まって、どんなものかが分かってきて、それに私が少しずつ慣れ、食欲や生活リズムを取り戻して行くにつれて、こうして話題に出来るくらいには精神状態が改善したという。
ネガティブな考えが具体的にどんなものかは聞かなかったけれど、このまま放置していては良くない気がした。

私だって自分が1人になることを思うと押し潰されそうな気持ちになる。後に遺される方が何倍も辛い思いをするのだ。
表に出さないよう黙って耐えていたのかと思うと本当に気の毒なことをした。彼にはカウンセリングが必要なのかも知れない。

ニコちゃんは見えないところでも頑張ってくれている。私も心を強く持とう。心労で彼の免疫力が下がってしまわないように。

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入院(手術)生活

術後5日目: 父の見舞い

昨夜は比較的楽だった。数時間とはいえきちんと眠れた。咳も3回程度。
それにしても体に痛みがあるだけでこうも眠れないものか。
元々は3分あればいつでもどこでもいつまでも眠れる性質だっただけに、今の自分をなかなか受け入れられない。

病室 個室室内

父が見舞いに来てくれた。肉親とはいえ、これまではとても人に会える状態ではなかった。昨日辺りからようやく人心地ついて、お見舞いを受け入れる気になったのだ。

久しぶりに会う父は言葉少なで、何故こんなことに、と何度も呟いていた。
これは見舞いだ、何かの足しに、と封筒を置いて行った。不器用な父らしい気遣いだった。

父の年齢と病み上がりであることを考え、何時間かかるかわからない手術の立会いを断った。見舞いも酷い状態を見せまいとこの日まで待ってもらったが、それが良かったのかどうかは分からない。状況も分からずただ待つだけの身も、それはそれで辛いものだったろう。

見舞いは短時間だったが、少し痛みと疲れが出て来たため、横になっているうちに寝てしまった。
気がついたらマメな男ニコちゃんこと夫が冷蔵庫に飲み物を補充してくれている所だった。

ニコちゃんは自営業なのをいいことに毎日来てくれる。彼に対しては罪悪感よりもありがたさや嬉しさが勝ってしまうのは、もう実の親よりも甘えられるより身近な存在になっているからなのだろう。

今日は手作りの甘夏ゼリーをもってきてくれた。喉越しが良く、つるりと完食したらますます元気が出てきた。

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