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入院まで

入院準備

入院前にネイルは手も足も全て落としてくるよう厳命された。特に最近ジェルネイルをしている人が多いがあれは手軽に落とせないから、してたら手術は中止ですから、と。別に意地悪な校則で決まっているわけではなく、術中爪の色でバイタルチェックをするためだそうだ。

手はいいとして、夏だったのでまんまと浮かれたペディキュアをし、そのまま腹が張って足の指に手が届かなくなっていた私。看護婦さんに相談すると、「旦那さんに落としてもらいなさい!」と一喝された。
リムーバーの臭いが大嫌いなニコちゃんこと夫は、それでも文句も言わずペディキュアを落とし、丁寧に足の爪を切ってくれた。
他の人に足の指を手入れされるのは、何というかいいもんだということが分かった。

入院の日まで、お通じと食事のコントロールに追われた。食べ過ぎたりお通じが滞るとてきめんに腹が張って1日苦しい思いをする。食欲はあるがすぐ食べられなくなる、ある程度は食べないとお通じが出ない。悲しいかなうんこに左右される体調…。
ピンクの小粒はお腹に差し込みが来て余計ややこしくなるので、生薬配合のハイロストールという市販薬を毎日飲んだ。
元々便秘体質ではなかったので、錠数を調節することで何とかしのげた。
日が経つにつれ腹の張り感はしこり感へと変わって行った。ぶよぶよした塊が次第に張りつめて硬い塊になって行くようなイメージ。

うちは自営の会社で、タイミング悪く8月は決算月。癌だろうが手術だろうが、作らねばならない書類がある。腹の張りで集中力は落ち気力は削がれ、いつも疲労感を感じていた。
朝起きて何も食べていない時間帯が最も体調が良かったので、その時間帯に集中して作業をした。

お腹の一番出ている腹囲を巻き尺で計ってみたら86cmあった。以前のサイズが分からないけど、尋常じゃないよね。
1時間の外出で疲れ果て、目眩を起こして横になる始末。

それでも、夏から飼い始めた仔犬が脚を痛めて悲鳴をあげた時は、ダッシュで飛び込んでいけた。子宮や卵巣を取っても母性本能って残るんだろうか?

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入院まで

入院日決定

入院は2014年9月8日、
手術は9月9日に決まった。

決まった翌日に生理が来た。少なくて短くて、もしかしたら不正出血だったのかも知れないが、手術をしたらもう二度と生理は来ない。邪魔なばかりでさっさとなくならないかなーと思ってきたけど、まさかこういう形で終わりを迎えるとは。生涯最後のおつとめと思い感慨深く過ごした。

身辺整理的なこととか、何かあった時のために一筆書いておいた方がいいんだろうか、とぼんやり考えたが、気力が付いて来ず、結局何もせずじまい。

癌という言葉に全く衝撃はなかった。
去年の夏、両親が同時に癌発覚という修羅場を経験したばかりなのだ。
胸が締め付けられるような医者の話、細々した身の回りの世話、介護申請から各種届け出と言った役所の手続き関係、ありとあらゆるストレスが降りかかって来た。知らないこと、分からないことだらけだった。
別々の病院で、父の手術に立ち会いながら弱って行く母の抗がん剤投与を見守る日々。自分のことも仕事も放り出さざるを得なかった。
父はその後経過観察に移ることができた。母は発覚からたった2ヶ月で逝ってしまった。何も出来なかった。

癌について、死について、考えない日はない1年を過ごした。まさかきっかり1年後に、自分に同じことが起こるとは。
けれどおかげで涙もショックもなかった。癌という言葉はひどく身近な存在になっていた。
なるほどね、そうきたか、と誰にともなく呟いた。
大切な誰かが病になってもう一度あの無力感に苛まれるよりは、自分にそれが起こった方が何倍もマシな気分だ。

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